落研と私(第5回)

筆者    林 文雄 (理工学部 昭和43年卒)

先日、草加八潮稲門会の年次総会が行われました。
時節柄、懇親会はなかったんですが、その代わり伝統芸能公演として悠玄亭玉八師匠の幇間芸が披露されました。稲門会のHさんのお兄様が、玉八さんの師匠(悠玄亭玉介さん)の頃から贔屓にしていたという御縁だそうです。

幇間とは太鼓持ちのこと、辞書には「宴席に出て、客の遊びに興を添えることを職業とする者」と書いてあります。玉八さんも「普段のお座敷とは勝手が違って…」なんて言ってましたが、今は舞台やイベントでの営業仕事も多いようです。
数年前の話ですが、私の友人が「ポケカル主催の、神楽坂の志満金で老舗の料理と幇間芸を楽しむツァーに参加し、玉八さんの芸を見た」と言ってました。 今回も慣れた手順で、都々逸・小唄と踊り(深川・名古屋甚句ほか)、屏風芸など、たっぷり1時間演じて帰られました。

悠玄亭玉八さん 

1945年 東京生まれ。

1967年   新劇の東京芸術座に所属し、演劇公演やマスコミで活躍

1978年   新内、粋曲の柳家紫朝師に師事し、音曲の修業。

同時に、お座敷芸の第一人者悠玄亭玉介師の一門となる。

悠玄亭玉八の芸名を戴き、浅草見番に登録

落語に出てくる太鼓持ちというと一八。一八が出てくる落語というと、愛宕山、鰻の幇間、太鼓腹、山号寺号…。そこには、客にヨイショしておこぼれに預かろうという姿が描かれています。
(落研のころ、黒門町(八代目桂文楽)が演じる「愛宕山」や「鰻の幇間」を生で見たことがあるのが、私の自慢です。)

落語の中の一八は、太鼓持ちとして面白おかしく描かれた極端な姿ですが、実際の幇間はどんなものだったんでしょうか。
私はお座敷での幇間の姿を実際に見たことはありませんが、幇間の本当の仕事は宴席の座持ち。
芸者の歌や踊りの間の時間をつなぐために、各種の芸を披露したと言われてます。
だから優れた幇間とは、声がいい踊りがうまいだけでなく、臨機応変の対応で宴席の進行担当ができることなんですね。まさに「馬鹿じゃなれない、利口じゃならない」という究極の仕事です。
今のお笑いの用語を使うなら「落語はネタ芸、幇間はリアクション芸」ということになるかもしれません。もっとも舞台で披露するものは、ほとんどネタ芸ですね。

それでは、幇間は寄席には出ないんでしょうか?
噺家がお座敷に呼ばれて、普段寄席ではできない艶笑噺を一席やるなんてのは、よくある話です。
高座でも落語の後に、かっぽれなどの幇間芸を演じることは昔からありました。
でも幇間が高座に出ることはほとんどありませんでした。

しかし現在、事情はだいぶ変わりました。
桜川七好さんは、2016年の文化庁長官表彰を受けています。幇間芸が大衆芸能として認知されたということですね。
松廼家八好さんは、落語芸術協会の客演として新宿末広の高座に出たこともあります。
幇間芸が色物の一つとして寄席に出る日も近いかもしれません。

今回、玉八さんは冒頭で「太鼓持ちは、今や世の中に5、6人しかいない絶滅危惧種なんです、大切にしましょう。」と言ってましたが、新たに幇間になろうという方も出てきているそうです。
皆さん、幇間になる前は何をやっていたのでしょうか。

「太鼓持ち、あげての末の太鼓持ち」という川柳がありますが、今どきそんな人間はいません。
昔は噺家修行に挫折して幇間になった方もいましたが、悠玄亭玉八さんや桜川七好さんの元の職業は劇団員です。
さらに女子大卒の幇間なんて方もいます(桜川七太郎さん)。もちろん女性です。
太鼓持ちのことを男芸者っていうけど、彼女はなんて言うんだろう、女男芸者?

落研と私(第5回)” に対して2件のコメントがあります。

  1. 谷口幸璽 より:

    「落語と私」第五回、待ってました。リアクション芸、難しいですね。よほど性に合っていないと、粋(いき)と粋(すい)が身についていないと、とても出来る仕事じゃござんせん。昔は巷にも、そんな粋人が居られましたが‥‥。

  2. 林文雄 より:

    コメントありがとうございます。
    また貴兄から、龍谷大学・落語研究会の頃のことを書いた「落研/学園春歌考」を贈っていただき、ありがとうございました。
    その著書の中には幇間芸として「どろんどろん」のことが書かれていました。
    その芸はちょっと過激(?)なので今回の公演では披露されなかったのですが、玉八さんの持ちネタの一つのようです。

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