落研と私(第4回)

 

筆者    林 文雄 (理工学部 昭和43年卒)

落研と私の第1回に掲載した昔の写真が、なんとテレビ朝日で放映されました。

「お笑い実力刃」という、お笑い芸人を真正面からとりあげている硬派の番組ですが、「大学お笑いサークル出身の芸人」を取り上げた回で、伝統あるお笑いサークルとして早稲田大学落語研究会が紹介されました。

昔はどの大学でも、お笑いサークルというと落語が主体でした。全学連をもじって全落連(全関東学生落語連盟)という組織もありました。

「お笑い実力刃」のテレビ画面より

大学卒の真打第1号は、柳家つばめさん(五代目)ですが、彼が国学院大学に在学していた1950年ころは、まだ国学院には落研はありません。ちなみに女性の噺家第1号の三遊亭歌る多さんも国学院大学出身で、1993年に真打に昇進しました(注1)。ただし彼女も落研ではなかったようです。

落研出身の真打第1号は、五街道雲助さん。彼は明治大学落研で活躍していましたが、噂によると単位が足りず留年が決定したので思い切って中退し、先代の金原亭馬生師に入門したとか…。

早大出身の真打第1号は夢月亭清麿さんですが、落研出身ではありません。立川談笑さんや林家久蔵さん、ワセダ女性真打トリオ(桂右団治さん・川柳つくしさん・柳亭こみちさん)も落研には在籍していません。嫌われてるのかな?

いっとき「早稲田の落研は落語を演じない」という悪い(?)評判がありましたが、私が在学(1964~1968)していたころには稽古会も行われており、素人離れした者も何人かいました。しかしプロの噺家になるものが出たのは、ずっと後です。

早大落研出身の真打第1号は桃月庵白酒さん(1992年入門、2005年真打)ですが、他の真打、柳家甚語楼さん、古今亭菊太楼さんもほぼ同じ時期に在籍しているので、落研の中での勢いというか雰囲気というか、何かあるんでしょうね。3名とも草加落語会に出演しています。

私も先輩の一人なので、彼らが定席のトリをとるとか独演会を開くときには、ご案内を送ってくれます。10年以上前だが、甚語楼さんが上野鈴本のトリをとるというのでチケットを買い、仲間4人で行く約束をした。ところがその晩は台風が関東を直撃し、あの広い鈴本に客は我々含めて20名ちょいと。風雨はさらに激しくなって帰る客もいて、甚語楼さんが高座に上がったとき、客は十数名になっていた。そんなお客に感激して「こんな日に寄席に来てくれるお客は神様だ、寄席通いの決死隊だ(注2)」と言っていたが、な~に先輩としての義理です。

他に柳家初花さんも早大落研出身ですが、10年以上二つ目で頑張ったのに、何があったか師匠の柳家花緑さんの怒りを買い2013年の暮れ破門され廃業、今は役者をやっています。

左:古今亭菊太楼さんの真打披露興行に友人と行った時のもの(浅草演芸ホール)
右:菊太楼さんから送って頂いたパンフレット

落語の人気にも山と谷があり、早大落研名簿を開いてみると年度によって会員数もかなり変動しています。私が在学していたころは70名近くいたが、一時期ヒト桁になったこともある。漫画「昭和元禄落語心中」などによる落語ブームのおかげか、現在は約40名いますが、東女・ICUなど他の大学の学生も早大落研メンバーとして、一緒に活動しているそうです。

先般放送された「お笑い実力刃」によると、大学お笑いサークルも多様化し今の主力はコントだそうです。昔の寄席の世界では漫才やコントは色物として一段低く見られていたけど、今のテレビのお笑いの世界では逆転、落語番組は深夜に追いやられました。

早稲田大学でも、寄席演芸研究会が昔から落語のほかに漫才やコントもやっていましたが、今では多数のお笑いサークル(コント集団)が存在して、その中の一つ「お笑い工房LUDO」からはテレビの人気者が数名出ているので、400名近い会員がいるそうです。

一方、早大落研は現在も落語がメインなのは変わっていません。ちょっとした矜持でしょうか。演じる方も力をつけてきて、学生落語最大のイベント「策伝大賞(注3)」では決勝まで残った者も出ました。おめでとう!。

しかし70年続く伝統の「わせだ寄席」の客の入りが、最近は良くないのだそうです。時代の風潮もあるけど、なんとか頑張って続けて欲しいですね。

(注1)歌る多さんが昇進した時の肩書は「女真打」、何か男性と女性の違いの認識がモロに出ていますね。 2002年に女真打の制度はなくなり、ふつうの真打になりました。

(注2)落語「蔵前駕籠」に、遊女にもてたいがため辻斬りが出るのを物ともせず吉原通いする男に「女郎買いの決死隊だね」というセリフがある。
なお当日「寄席通いの決死隊」と言ったのは、仲入り前に出た桃月庵白酒さんだったかもしれない。

(注3)岐阜市が主催する全日本学生落語選手権・安楽庵策伝大賞。安楽庵策伝は江戸時代初期の僧侶で、落語の祖と呼ばれる人物。

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