TOKYO2020オリンピックボランティア体験記
三根健一(みねけんいち)
私は、TOKYO2020オリンピックでField Cast(FC)と呼ばれる競技会場でのボランティア活動に参加しました。霞ヶ関カンツリークラブ(KCC,埼玉県川越市)で行われた男子と女子のゴルフ競技それぞれ4日間合計8日間です。
そもそもなぜボランティアに応募したのかですが、先の1964年(昭和39年)の東京大会の時、私は大学1年生で国立競技場場外での観客入場整理のアルバイトをしたことに遡ります。マラソンのアベベ選手が裸足で国立競技場へ戻って来たところは生で目撃しました。それから約50年後の2013年9月ブエノスアイレスでのIOC総会において2020年のオリンピック開催地が再び東京に決定した瞬間は、深夜のテレビ中継を真剣に見ていて素直に感激しました。この時には、今度は観客として入場券を購入しいくつかの競技を観戦したいと思っていました。しかしその後2019年2月頃、ボランティアの募集があることを知り、8万人の募集に対し20万人が応募するというような報道もあり、ちょうど現役での仕事を終え余裕の時間はたっぷりあることから、初めてのボランティアに挑戦した次第です。
インターネット経由で5-6ページのエントリーシートを記入し、送信するというまさに最近の大学生の就職活動のような作業から始まり、本人確認、グループ面接のような過程を経て、見事ボランティア採用となりました。この段階では、どこの会場でどのような仕事をするかは、決まっていません。コロナ禍となる以前はオリエンテーションや集合研修もありましたが、その後は全てオンラインでのE-Learningとなり、中にはオンラインでの英会話研修もありました。その後オリンピックの開催は1年延期となり、いろいろな不祥事も生じましたが、折角自ら応募して採用され多くの研修も続けてきたのでボランティアを辞退することは全く考えませんでした。
2021年4月の中頃、シフトの連絡というものがあり、会場はKCCで所属チームはPROTOCOL(PRT)であることが判明しました。ただし問題は、活動時間がam6:00-12:00となっていたのです。始発電車を利用してもam6:00前に現場に着くことはできません。メールによる交渉の末、電車利用で到着できる時間からの活動で良いことを認めてもらいました。後にわかったことですが、一緒に働いた仲間の方々は、車やバイク利用で6:00開始の朝礼から参加していたのです。KCCでの仕事・PRTチームへの配属は、私の希望ということではなく勝手に決められてきたものです。他のメンバーの方々もそうですが、どうしてそうなったかは不明です。
PRTチームとは何をするのかですが、端的に言うとオリンピックファミリー(OF)の接遇ということです。OFとは何ぞやを説明します。OFには以下のような方々が含まれます。IOC関係者、IF(国際競技連盟)関係者、NOC(日本ではJOC)関係者、OCOG(開催国・将来の組織委員会とその首長)、スポーツ仲裁裁判所・国際アンチドーピング機構関係者、Top Partner(スポンサー)14社、放送権を有するRights Holder、国際・国内要人といういわゆるVIPがOFです。このことは事前のE-Learningで学習しました。
6月7日、Accreditation Cardとユニホーム一式を受け取り気分が高まってきました。開幕の1週間前(8月16日)、約2時間の会場での直前事前研修がありました。既に1都3県の会場は無観客となることが発表されていて、FCには選手の応援という役目もあるという説明がありました。ゴルフをする方はご存知かと思いますが、10番ホールのティーショットと18番ホールのグリーンでのパッティングの両方が居ながらにして見られる絶好のロケーションに「OFラウンジ」と呼ばれる冷房完備の立派な建物(仮設)ができていて、ゲストの方々は、無料の飲み物・軽食付きで観戦できるようになっています。ちなみに飲み物はコカコーラ社(スポンサー)提供の飲み物に限られ、アルコールは一切ありません。また、室内には大型スクリーンが何台か設置されていて各ホールの進行状況、上位選手の状況が見られるようになっています。オリンピックの商業主義・金権主義の一端を垣間見る思いがします。なお、このOFラウンジのあるエリアはZone6と呼ばれ、ID(Accreditation)Cardに6の表示がある者だけしか入れません。
こうして1日の通勤、片道2時間(乗り換え3回、往復4時間)実際の活動時間4時間(休憩時間を含む)というFC活動が始まりました。FCは自宅を出てから帰るまで支給されたユニホームを着用することが義務付けられています(オリンピックの宣伝役とのこと)。また現場にはロッカーなどはありませんから、身の回り品は小さなポーチに納めて常に身につけて行動することになります。コロナ対策として、ボランティア全員が活動初日と5日目の2回PCR検査を行いました。PRTチームの面々は、会場入口のセキュリティゲートでの検温、手指消毒、Accredi Cardチェック、手荷物検査を経て入ってきたOFメンバーをOFラウンジへ導く道案内からOFラウンジ内での入場者名・人数管理・サポートなどを小チームの交代制で行います。私達は午前中活動のシフトなので、午後は帰宅しても良し、会場に残って観戦しても良しという立場でした。ただし快適なOFラウンジ内部で観戦することはできません。(当たり前ですが)炎天下での道案内を交代ではあるものの2-3回行うと、足が疲れてしまい、活動終了後は自由といっても好きな選手を歩いてゴルフ場内を追いかける元気はありませんでした。せいぜい18番グリーン近くの日陰で立ち見観戦するくらいでした。
筆者のAccreditation Card, PROTOCOL、KCC、6の表示あり
活動7日目にもらったSwatchと身の回り品を納めるポーチ
ここでオリンピックのゴルフについての豆知識を記します。まず、選手の選考方法ですが、①世界ランキング上位15位まで(1カ国最大4名まで)、②16位以下については1カ国2名(15位以内についての有資格者を含む)、③5大陸ごとに最低1つの出場枠、④開催国からは男女とも1つの出場枠でTotal60名が選出される。60名は選ばれた選手なので予選落ちはなく全員4日間競技する。賞金は出ない。金・銀・銅メダルは各1個だけなので、タイスコアの場合にはプレーオフで決着をつける。今回も男子では松山英樹が7人によるプレーオフで脱落し銅メダルをのがしましたが、女子では稲見萌寧が2人のプレーオフを制し銀メダルを獲得しました。前回のリオデジャネイロ大会において112年ぶりにゴルフ競技がオリンピックに復活し今回は復活後の2回目に当たります。
私は下手の横好きでゴルフもやりますので、大変なこともありましたが今回のボランティア活動はとても楽しむことができました。何より私の1度限りの人生の中で2度もオリンピックに関わることができたこと、更には今回のオリンピックはコロナ禍の1年延期、非常事態宣言下、無観客というある意味で歴史に残るものとなるでしょうし、その中の当事者の一人であったのは、貴重な思い出となるでしょう。
陸上自衛隊朝霞訓練場におけるパラリンピックの射撃競技のボランティアも3日間行いましたが、このことはここでは省きます。こうして2021年の私の暑い夏は終わりました。
五輪マーク前の筆者、写真撮影が許可されている場所は限定的。
大変お疲れさまでした。今度お会いしたらこの時のお話を是非伺いたいと思っていました。このコラムを拝読してよく理解できました。晩年に生涯の想い出に残る素晴らしい体験をされましたね。羨ましい限りです。
この霞が関CCは一度だけプレーをしことがあります。素晴らしいゴルフ場ですね。2年前でしたかトランプ大統領が来日した時、安倍首相とここでプレーし首相がバンカーで転倒したのが衛星写真で撮られて世界に配信されたのが話題になりました。同伴していたのが松山英樹でした。
三根さんのコメントにS39年の東京オリンピックのマラソンのがありましたが私はこの時、高校3年生で新宿西口で観ました。裸足のアベベが真っ白いシューズを履いていたのを鮮明に覚えています。日本はまだ発展途上国で道路が整備されていないと思われていたんでしょうね。これも当時は話題になりました。
三根さんの記憶とは違いますが僭越ですが訂正させて頂きます。失礼致しました。
尾藤さん、詳細なコメントをつけていただきありがとうございます。霞ヶ関カンツリークラブは本当に素晴らしいです。プレーしたことは1度もありませんが、初めて中に入れてもらえただけでもラッキーでした。アベベ選手の記憶ですが、裸足という伝説でそう思い込んでしまったのかも知れません。1964年の東京オリンピックについては、市川崑監督の映画のDVD(2枚組)を所有しているので、後で確認してみます。
当会HP担当の齋藤 潔さんが昔の記事をチェックしてくれました。アベベ選手は1964年の東京大会ではシューズを履いて走ったというのが事実です。
更に興味のある方は下記のURLをご参照下さい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/899833a5111be07862d5f37052a74d99eae8ff2e