落研と私(第6回)

筆者    林 文雄 (理工学部 昭和43年卒)

先日、早大落研のOB会(落穂会)の総会が開催され、今年も出席してきました。

なんと会場が高田馬場コットンクラブ、ライブのできる洒落たレストランです(注1)。以前は大隈講堂の向かいの25号館15階のレストラン「西北の風」だったんですが、今年は変わりました。

一応総会なので議事進行もありましたが、今は世話人(会長)、番頭(会計)、手代(編集)の三役(注2)は、みんな女性です。女性会員が増えたという背景はあるけど、それより長年の古い体質でマンネリ化した落穂会を改革しようということでしょうか。

(まるで党改革を叫んでいる某党みたい。でも我々は裏金をもらっていない!)

今回のゲストの出し物は、柳家小菊さんの俗曲と、春亭右乃香さんの寄席文字の披露でした。

右乃香さんは早大落研出身です。右乃香さんはその場でリクエストをとり、色紙に寄席文字を書いてくれました。彼女によると、中には憂鬱とか薔薇をリクエストする奴もいるそうです。寄席文字は隙間を詰めて書くので、ただの黒いかたまりになってしまうんじゃないかな? 

写真の「落穂」は右乃香さんが書いた作品です。

最後に校歌を歌って無事終了しましたが、なんかちょっと物足りない。同期の仲間と二次会で話したが、昔の落研にあった泥臭さ・猥雑さがないんです。

そういえば数年前の総会で、現役の学生と立ち話をしたときに「今の学生は、酒を飲んで騒ぐのは同じだが、麻雀をやらない、女性会員もいるせいかセクハラになる話をしない」と言ってました。

宴会で春歌(猥歌)は歌わないどころか知らないそうです。粋でスマートにはなったんでしょうが、中高年としてはちょっと淋しい。

早稲田に限らず昔の学生の飲み会に付き物だった春歌、あれはどこに行ってしまったんだろう。

ちょうど私が在学していた頃、大島渚の映画「日本春歌考」が公開され話題を呼びましたが、その背景として当時の学生にとって春歌が、青春ソングの一つだったからだろうと思っています。

また、この連載を読んだという龍谷大学の落研OBの方から「落研/学園春歌考」という著書を送って頂きました(注3)。著者は私の3年ほど後輩にあたる方ですが、春歌と共に過ごした当時の学生生活がいきいきと描かれています。

よく考えてみると龍谷大は西本願寺派のお寺の坊さんを養成する大学です。この本の執筆者も僧侶など仏教関係者でした。「坊主と教師はスケベ」という噂は本当だった!

後で同期の仲間と、当時歌った学生歌・春歌を掘り返してみました。もっとあったと思うけど、ご存知の方、ご連絡ください。

  ツンツン節、大学数え歌、五万節、ヨサホイ節、ヨカチン節、

  エンヤラヤ節、ちんちらかんちら、正月数え歌、

50年ぶりにしては、結構覚えていました。今も、この文章を書きながら軽く口ずさんでいます。

  ♪ 一つ出たホイのヨサホイのホイ、一人娘と…… ♪

(注1)ニューヨークや大手町にコットンクラブというジャズを聴かせる高級レストランがあるが、関係あるのかな?

(注2)一般の役員は「丁稚」と言います。

(注3)贈られた本の裏表紙には「恵存」という言葉が添えられていました。さすが僧侶!

    意味は辞書で調べて下さい。

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