落研と私(第1回)

筆者    林 文雄 (理工学部 昭和43年卒)

早稲田大学の落語研究会は、OB会誌によると、「昭和23年小沢昭一氏・加藤武氏等が創設し、最初の会長は当時助教授だった暉峻康隆先生が就任された。」と書かれています。(実際は昭和30年代の初めに落語好き仲間が再立ち上げをした、というのが本当の所らしい)

私が入学したころの落研の活動としては、研究会、稽古会、鑑賞会が、蕎麦屋の二階で行われていました。

鑑賞会には三遊亭吉生(今の円窓)さん等、主に二つ目の噺家が勉強を兼ねて来てくれましたが、柳家小さん(五代目)師のような大看板の師匠に来て頂いたこともあります。

稽古会も行われていて、中には玄人はだしの者もいましたね。秋の早稲田祭では「いなほ亭」を開催、多くの客を呼んでいました。また春休み・夏休みには、全国の老人ホームに伺って落語の慰問を行ってました。その頃はまだテレビ以外の娯楽は少なく、それなりに喜んでもらえたと思っています。

慰問旅行にて(左端が筆者)

春と秋には、大隈講堂で本職の噺家を招いて「わせだ寄席」を開催していました。三遊亭円生、桂文楽(黒門町)、林家正蔵(彦六)、柳家小さん(五代目)など昭和の名人が出ていたばかりでなく、志ん朝さん、談志さんがこの席で「真打披露口上」を行っています。「わせだ寄席」は今も続いています。

早稲田祭にて(赤坂芸妓一同はシャレです)

私個人の話に戻ります。大学卒業以後30年間ほとんど落語にご無沙汰していたのですが、ある日、妻の従妹から電話があり、なんと彼女の息子がいま早稲田の落研に属しており、先輩名簿の中に私の名前を見つけたという。敵もさる者で、すぐにOB会(現役支援)の会費請求書が送られてきたので、払わない訳にはゆかない。請求書と一緒に「わせだ寄席」のご案内も同封されていたので「金を払った以上もったいない」と思い、行ったのがキッカケで、落語鑑賞および昔の仲間との付き合いが再開しました。

定年退職後は暇に任せてたびたび寄席に通い、テレビやCDで落語を聞きまくり、図書館では落語関係だけでなく講談・歌舞伎の本も読み漁り、たまには歌舞伎座にも足を運ぶ。そんな訳で現役時代よりはるかに落語に詳しくなりました。

現在、早大出身の噺家は十数名いますが、その中で、桃月庵白酒さん、柳家甚語楼さん、古今亭菊太楼さんは早大落研の後輩です。彼らが真打になったときには、OB一同の名前で披露興行の際に飾る後ろ幕を贈ったりしたので、ちょっとしたタニマチになった気分です。彼らが寄席でトリをとったり独演会を開いたりする時には、ご案内を送ってくれます。コロナ騒ぎが落ち着いたら、ぜひチケットを買って一緒に聞きに行きましょう。

当時はやった「青島だぁ」(慰問旅行の宮崎・青島にて)

落研と私(第1回)” に対して2件のコメントがあります。

  1. 船城 修 より:

    林さんの落研と私を読んで幸せを感じています。私は國學院大學の卒業生でプラス落研ОBであります。もうすぐ60歳になります。わせだ寄席‥何回か聞きに行きました。早稲田落研‥落語は演じないところですよね。早稲田大学寄席演芸研究会との付き合いもありました。船城 修

    1. paripori より:

      コメントありがとうございます。
      私の先輩の頃は、「早稲田の落研は、自らは落語を演じない」という雰囲気は確かにありました。そんな風潮に反発したのか、1970年ころに「寄席研」ができたと聞いています。
      しかしまもなく落研も自ら落語を演じるようになり、落研出身の真打も数名出ています。そんなわけで、落研とヨセ研は、ライバルと言ってよいのかも…。
      5年ほど前ですが、落研OB(落穂会)の定期総会に、ヨセ研出身の「マグナム小林」さんを招いて漫談を一席演じてもらっているので、今はそれぞれの立場を尊重しているようです。

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