落研と私(第2回)
筆者 林 文雄 (理工学部 昭和43年卒)
在学していた頃は、落語を聞きたいがとにかく金がない。したがって無料の「ラジオの公開録音」または低料金の会を探して通いました。
落語勉強会は、二つ目の勉強の場として東宝演芸場(日比谷の東宝劇場の5階にあった)で毎月開催されていました。二つ目のほかに補導出演と称して大看板が一人出る、これで学生は70円。
写真のプログラムは1966年のものです。ちなみに、吉生は今の三遊亭円窓、小勇は今の柳家小満ん、さん八は亡くなった入船亭扇橋です。
この演芸場、日劇を改築する際、日劇ミュージックホールの移転先となって閉鎖されました。「落語はストリップに勝てない!」。
もっとも後に、
毎月30日、上野の本牧亭で開かれた正蔵会にも通いました。これは先代の林家正蔵(彦六)の一門会で、弟子の照藏(
たしか100円くらいの入場料で、
そういえば正蔵師匠は落研の鑑賞会に来られた時も、
この本牧亭は元々、
2010年ごろ、私と友人Kは、女流講談の二つ目・
ふつうの寄席はやや高いのであまり行かなかったのですが、会社に入った年の忘年会で、今はなくなった「人形町末広」
その日は売れっ子の林家三平(先代)も出ていて、
実は私は(落研出身の者にありがちですが)
それから一年後、人形町末広は閉業しました。
前回紹介した「わせだ寄席」は、低料金だが名人・
火焔太鼓 古今亭朝太 (後の古今亭志ん朝)
唖の釣 三遊亭全生 (後の五代目三遊亭円楽)
寝床 柳家小ゑん (後の立川談志)
西行 金原亭馬の助
突落とし 柳家小さん
五月幟り 春風亭柳枝
死神 三遊亭円生
厩火事 桂文楽
このとき朝太は二つ目になったばかりでしたが、この三年後、
私が入学した頃のわせだ寄席は年に2回開催されており、
落研には、私の2年先輩に円楽さんの弟さんがいた関係もあり、
落研会員は場内整理などの役目を持っているが、
私が卒業した後の話ですが、1978年5月のわせだ寄席では「
ところが、なんとその翌日、円生が「落語協会脱退の記者会見」
(注1)正確には、この回までは「落語研究会」を名乗っており、次の回から「わせだ寄席」を名乗っている。
(注2)円生の落語協会脱退事件のいきさつを、円丈が書いた実録本。1986年に発行された。