ご縁をつないで10年・中編
南三陸支援活動リーダー 鈴木 智美
令和3年(2021年)7月15日。
この日は、草加八潮稲門会にとって、もう一つのメモリアルデーとなりました。
早稲田大学校友会の情報誌「早稲田学報 8月号」の84ページへ、わが会の南三陸支援活動の10年間の取組が掲載され、世界へ発行されました。
全国の校友、並びに世界で活躍している校友の元へ、一斉に配布されたのですが、その数、16万2千部!!
d3b2838617e7259f502e4e504acc3966文字数の制約があり、たくさんの取組みの中から一部のみの紹介となりました。しかし、学報の情報発信力は驚くほど大きく、先輩方の知人や、私の同級生から「見たよ!」の連絡があり、嬉しいことに、いずれもお褒めにあずかりました。
こうして会の活動が活字になり、世界へ発信されるのは、誠に光栄なことですね。一層、精進していかねばならない、という気にさせられます。
10年間の取組みについて、さらに詳しく、時系列に掲載したものがありますので、あわせてここへ掲載します。
こちらは、先のコラムの冒頭で触れました、「濱守栄子 夢コンサート」の特製プログラム最終ページです。細かいものを含めると、本当はこの2倍ぐらいの取組みがありましたが、紙面都合により、主な取り組みのみ抽出しています。
fb149ee334b09b933e1588af6c8e8299こうして振り返ると、さまざまなことが思い出されます。
10年の間に、支援の形は変わっていきましたが、「人と人との交流・つながり」=「ご縁」を大切に育みながら、南三陸と共に歩んできたことは不変です。
この中で、特に思い出深い出来事は、2つあります。
1つは、今は立派な商店街となった南三陸ハマーレ歌津の前身、仮設の歌津伊里前福幸商店街へ会員4名で訪問し、商店街の皆さんと交流しながら、事務機器の贈呈を行ったことです。当時は、崩落した国道の橋脚や建物の土台が周辺に残されており、津波の痕跡がいやでも目に入りました。そんな中でも、しっかりと前を向いて頑張っている皆さんの様子に、感動したことが忘れられません。(平成24年8月19日)
商店街の皆様から、震災前の歌津の様子を伺う。
こんなに風光明媚で人情味のある地域が瞬時に飲み込まれたときのことを思うと、言葉が出ない。明るく話してくださるほどに、皆さんの無念と再起への決意が胸に響いた。
-創立30周年記念誌より(抜粋)-
■歌津伊里前福幸商店街支援を通して、私たちは震災最大の被災地・南三陸町の復興に貢献します
歌津伊里前福幸商店街は、33店が流出した海沿いの商店街跡地に、7人の商店主がまちの再起のために再建した仮設の商店街です。
どの商店主も、店舗兼住居を失った同じ被災者だけに、仮設住宅に住む方たちの悲しみやつらさが良くわかります。お店を開くことで、裏の高台の仮設住宅約200世帯等へ交流の場を提供し、住民の心を繋いできました。
この活動をさらに進めるため、情報発信やイベントに役立つ大型液晶テレビ・ブルーレイレコーダー等の備品を必要としていました。
私たちは、同商店街が進める地域の居場所づくり事業に対し、会の創立30周年事業の一環としてご支援することで、震災最大の被災地の1つである南三陸町の復興をお手伝いすることとしました。
仮設住宅が並ぶ、高台の伊里前小学校から旧市街地跡を望む。色とりどりのフラッグが翻る右手のコンテナが伊里前福幸仮設商店街。
周辺見渡す限り、他に使用可能な建物は何もなかった。
商店街の生きた建物がそこにあるだけで、地域にはどんなに心強いことであったかが想像できる。
もう1つは、ドナルド・キーン先生、鳥越文蔵先生をお招きして、草加稲門会創立30周年記念式典を草加で実施したことです。
先生方が、日本や草加への想いをにこやかに語ってくださいました。そのうえ、南三陸町歌津(うたつ)の伊里前福幸商店街(いさとまえ ふっこう しょうてんがい)支援の報告をお二人の前でご披露する栄誉をいただき、最後は大学グリークラブOBによる歌声に唱和しました。先生方と同じ場所で、大学校歌を高らかに歌い、震災復興支援歌「花は咲く」をしみじみ聴いたことは、一生の良き思い出となりました。(平成24年11月25日)
キーン先生、鳥越先生。今日までの取組、目を細めて、空からご覧になっていらっしゃるでしょうか。
草加市中央公民館ホールを会場に、草加稲門会創立30周年記念式典を開催。震災を機に日本国籍を取得され、日本人として生きることを決意されたドナルド・キーン先生と、日本近世演劇研究第一人者の鳥越文蔵先生との記念対談「日本・早稲田・草加への思い」は、夢の対談でした。
全て、会員の皆様のご尽力があって、実現できたことばかりです。「感謝」しかありません。